ヒップホップ解説

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初めに、これは大学の課題作品として提出するブログです。

自己紹介をします。

ryoです。

好きなことは、アニメを見ること、漫画を読むこと、ヒップホップに関連した音楽、カルチャー、ファッションなどです。

ここでは、自分が好きなラッパーとヒップホップ(ストリート)カルチャーついて紹介していこうと思います。(好きになって日が浅いためまだ知識がかなり少ないです。ご容赦ください。)

まず、私が一番好きなラッパーである2PACについて紹介します。

2PACのヒストリー

2PACは、1971年にNYのスラムで生まれ、ドラッグ中毒の母のもとで育ちました。

そしてラッパーを目指し、西海岸に身を移し、シュグナイトが率いるdeath rowというレコードに所属し西海岸で活動しました。

そこで順調に成功していたのですが、ある事件が起こります。

1990年代当時、東海岸ニューヨークで活躍していた一人のラッパーがいました。ノトーリアスB.I.G.(通称ビギー)です。

当時、彼らの中は良好でした。しかし、ビギーやパフダディなどに会いに2PACがレコーディングで東海岸を訪れた際、そこで強盗に銃で撃たれます。

一命は、取り留めましたが、2PACはビギーたちに不信感を抱くようになりました。

その後、ビギーが出した曲の歌詞が自分のことを指していると思った2PACはビギーたちを猛烈に批判(ビギーとその2PACのことではないとレコードは否定)

その際に出された曲です。

そしてヒップホップ史上最大のビーフ(抗争)へと突入しました。

その結果、彼は最後に移動中に銃で撃たれ、25歳で亡くなりました。

犯人や真相は今もわかっていません。

ここで好きな曲を3つほど

ヒップホップの歴史

ヒップホップは1970年代ニューヨークで貧困や差別に苦しむ黒人たちの間で生まれました。

ヒップホップはよく音楽ジャンルだと誤解されますが、音楽でなくダンス、ファッション、グラフィティなどさまざまなものを総合した黒人文化だとされていました。そして、現在ではヒップホップは黒人だけの文化でなく世界中に浸透し一口に定義することはできません。

70年代から80年代にかけて黒人たちの社会への叫びはアメリカ中の若者の心をつかみ、瞬く間にアメリカ全土に広がりました。

そして、1990年代に入り、コンプトンで活動していたN.W.Aを中心に世界中に広がります。

しかし、ギャングスタラップとして過激な歌詞を扱うN.W.Aは、アメリカ国内で大きな物議をかもしました。

彼らの物語はストレイトアウタコンプトンという映画で詳しく描かれています。

そしてその後も様々なラッパーたちが台頭し、今や世界で最も聴かれている音楽になりました。

現在の一線級で活躍しているラッパー例

トラヴィス・スコット

音楽界はもちろんのことファッションにも大きく影響を与え、トレンドを生み出しています。

彼がナイキとコラボしているスニーカーは数万~数十万で取引されています。

ドレイク

spotifyの総再生数世界一位やデビューアルバムから8作連続1位などさまざまな記録を残しています。

ケンドリックラマー

多くの賞を受賞し、商業的にも成功し、2016年には世界で最も影響力のある100人に選ばれました。

去年、ケンドリックがドレイクを揶揄し大ブレークした曲です。

現在UKラップも広がっておりセントラルシーはその代表として外せません。

まだまだ多くの著名なラッパーいますがキリがないので省略します。

ヒップホップにおけるファッションの重要性

ヒップホップにおいてファッションはものすごく重要とされ、それはラッパーたちが貧困から成り上がった証とされてきたからです。ヒップホップシーンにおいてファッションのトレンドは常に変化しますが根底にあるものは変わりません。また、様々なアイテムにルーツがあるため、ヒップホップシーンにおいてタブーな組み合わせというものもあります。

エアフォース1はヒップホップを語るうえで外せないスニーカーのひとつです。

1980年代後半からニューヨークのドラッグディーラーやハスラーたちに履かれ、ラッパーに履かれ現在ではあなたの足元に渡り、世界で最も売れているスニーカーとなりました。常にピカピカのエアフォース1を履くのがかっこいいという価値観は今もヒップホップシーンで受け継がれています。

ティンバーランドもエアフォースワンと並びヒップホップシーンを代表するブーツです。

もともとはアウトドア用に作られたこのブーツですが、頑丈なこのブーツはニューヨークのドラッグディーラーやラッパーたちに好まれ、今ではストリートカルチャーの枠を越え多くのシーンで履かれています。

ティンバーを履くビギー

 

80年代から90年代、東海岸ではエアフォース1が西海岸ではこのコルテッツがギャングたちによって履かれていました。一時期は履いているだけで危険人物みなされる時代もあったそうです。ディッキーズのパンツやキャルトップなどと共に西海岸のヒップホップシーンを代表するアイテムのひとつです。

ニューエラをかぶるジェイジー

ニューエラもヒップホップにおいて避けては通れません。

元々はただのベースボールキャップでありましたが、地域を重視する文化があるヒップホップシーンにおいてチームのロゴが付いているニューエラが流行るのは必然でした。東海岸のラッパーはヤンキースのニューエラをかぶり、西海岸のラッパーはドジャースのニューエラをかぶりました。

また、他にもバスケやスケボーなどのカルチャーと融合し、様々なアイテムが着用背れてきましたが、長くなるので割愛。

日本でのストリートファッション

日本のストリートシーンでは90年代にナイキのエアマックスと裏原ファッションが流行りました。

ナイキのエアマックス95は社会現象を起こし、エアマックス狩りなどの社会問題にもなりました。

 

裏原ファッションとは裏原宿エリアでショップを構えるアパレルブランドのことで、藤原ヒロシのグッドイナフというブランドが原点にあります。今も現役のブランドだとA BATHING APEやアンダーカバー、WTAPS、ネイバーフッドなどがあります。また、アメリカのブランドであるsupremeやstussyなども裏原で展開されています。

最後に映画を3つほど紹介します。

まずは、先ほどちょっと紹介したストレイトアウタコンプトンです。N.W.Aの物語で、これを見ればヒップホップが少しは分かると思います。自分の好きな2PACも少し出てきます。

次に世界的ラッパーであるエミネムの自伝を描いた8マイルです。まだ有名ではなかった頃のエミネムが成り上がっていく話です。

最後にAIRです。エアジョーダン1の誕生秘話です。やはりこのスニーカーはストリートにおいて伝説なので見て損はないと思います。マイケルジョーダンが無名だったころの話です。ジョーダンがナイキと契約して伝説が始まりました。

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